Future…

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「Under Shangri-La」から二星霜、私は忍耐強く沈黙していた。
周囲からの「次はいつやるのか」「次は何をやるのか」というような質問も、しばらくは怒濤のように浴びせられたものだが、いつしかそのような声もなくなり、皆の記憶から「studio-exp」の存在すら忘れ去られていった。
看板商品のひとつであった「J’s Y2」も活動を停止し、現在、メンバーはそれぞれの道を歩んでいる。
だが少なくとも、私と関谷女史にとってはどうしても「必要な二年間」だったことは間違いない。女史は二年前の状況を「伸びきってしまったパンツのゴムのよう」と表現していたが、私にとってもまさしく同感で、消耗してしまったエネルギーを充電するには、それ相応の時間が必要だったのだ。
もちろんその期間、私たちは充電期間と称した「休養」をしていたわけではない。「現実という名のステージ」でかなりドラマチックな物語を展開していた。
女史のプライベートなドラマに関してはここでは省くが、最終的にスタジオルーム付きの家を新宿区内に建てるという快挙を成し遂げたことだけは、この場で付け加えておく。
私はと言えば、絶対に自分の人生にはあり得ないと思っていたこと、つまり、ある女性と「結婚」というものをしてしまった。それはいままでの人生観を百八十度転換させてしまうほどの大きな出来事で、本で言うならば、前半と後半を別々の本からちぎってつなぎ合わせ、むりやりひとつの物語にしてしまったような(まるで「Stray sheep は眠らない」と「Under Shangri-La」のように)、ある意味「力わざ」だった。
そして、初めての「就職活動」を経験し会社員というものを経験した。つまり「社会を観た」ということだ。
私はかねてから「現実感がない」「不思議な浮遊感」などと他人から指摘されることが多々あったのだが、それはそれでアーティストとしての個性だとして軽く受け流していた。ただ、「studio-exp」を立ち上げ、現実の社会の中でその存在をアピールしていく役割を持つ者としては、それが「欠陥」だとも感じるようになっていた。単に創作者として芸術性を求めるだけなら、それで良いのかもしれない。ただし主体者として芸術を発信していく立場なら、社会性というものが必要不可欠になってくる。つまり「社会人としての実体験」がどうしても必要だったのだ。
「にわか社会人」には挫折もあった。屈辱は感じたが、やり甲斐は感じなかった。残念ながらまだしばらくはこの「にわか社会人」としての立場を捨てるわけにはいかないが(図らずも「責任」というものが付随してしまったからだ)、それでもそろそろ「実習」に移ってもよかろうかという時期が来たのではないかと感じている。

この夏、一人の友人が急病により若くして亡くなった。studio-expのスタッフとして大いに活躍してくれたメンバーだったが、私のキャラクターをよく理解し、常に見守ってくれていた存在だった。彼の死は、私に大きな悲しみをもたらしたが、同時にstudio-exp活動再開を考えるようになったひとつのきっかけにもなった。つまり「潔く生きる」ということを再認識させられたのだ。
「想いを残す」生き方は自分の性に合わない。考えを巡らしているだけでは前には進めない。プランは現実にしてこそ価値がある。そのためにstudio-expを創設したのではなかったか。

studio-expとしては、二十一世紀の幕開けとともにしばしの眠りから目覚める予定である。現在はその準備に向け、関谷女史と額をつき合わせ画策している段階だが、新しい世紀のスタートの年に相応しい、「原点回帰」の企画を考えている。
studio-expが発掘し、その中から成長し巣立っていった者も多い。私はあえて彼らを引きずり戻すような可哀想なことをしようとは思わない。新しい人材が、次々にstudio-expから卒業していってくれれば良いと考えている。
最後に、私が勝手に人生の師と仰ぎ敬愛して止まない、ある世界的識者の言葉から引用したい。
『組織は一つの生命体である。新陳代謝がつねに必要である。いつも若々しい活力と息吹を取り入れていかなければ発展しない。そのためにリーダーは、自らが成長し、新鮮味をたもち続けていかなければならない。』

(チーフプロデューサー・久保田条実)

※2000年10月公式サイト掲載

  • このサイト中に出てくる人名については、全て敬称略とさせていただきます。
  • 資料提供:studio-exp(スタジオエクスプレス)