ファンクラブ会報誌「スタコム」より

音楽評論家/乃本忠静

 様々なミクスチャーカルチャーの登場する世紀末のメディアの中、また一つ、そんなクリエイター集団のプロジェクトが始動した。一つの組織体としては必ずしも存在せず、常に活発に新陳代謝を繰り返す集合体、それが「studio-exp」であり、その核となる人物が久保田条実と関谷公仁子という二人の人物だ。その「studio-exp」の第一回プロデュース作品が「Stray sheep は眠らない -置き去りの結末-」なのである。
 私は久保田氏とは知り合って間もないのだが、「studio-exp」を立ちあげる以前の段階から親しくさせてもらっていたので、かねがね聞かされていた彼の作品に対する思いと、その中で表現しようとするテーマに深く共感していた。そのテーマとは非常に興味深く、いやが上にも期待がふくらむものであった。
 そんな期待を抱えて「Stray sheep は眠らない」の公演を観たのだが、観終わった後、私の中では、喜びと驚きと混乱と不満がない混ぜになり、思わず首をかしげたくなってしまったのだ。
 確かに、今回の公演はエンターテインメントとしての面白さは十分に持っていた。天を切り裂く雷のように吠えるYUIMAのギターによって幕は開けられる。その後も芝居の裏をうねるように流れ続けるサウンド。あたかも物語の世界を案内する妖精のごとく、シーンの間を華麗に舞うヴォーカル。それらの音のシャワーが降りそそぐ空間を、さまよい歩くキャストたち。YUIMAのギターによってカットバックし進行速度と緊張感を増してゆく場面。キャラクターたちが個性豊かに展開する丁々発止の会話。それら全てが融合し、時には観客席にまで及ぶ演出……そうした実験的で斬新な「舞台」という限界を越えようとするアイデアの数々に感心した。
 しかし、その中に出てくる人物像、つまりはこの作品の本来のテーマが希薄になってしまっていたのも事実だった。表面的にはジュンという人物の心の葛藤を描き出す形になっていて、それをテーマと捉えることもできる。だがそれは、私が聞かされていた久保田氏の原案とは大きな相違があったのも事実である。彼の現在を踏まえた未来観。過去の経験、あるいは登場する少年の中の一人格として象徴されている過去の葛藤。壁を越えられないと自分で決めつけ、あきらめ、逃げ出してしまう人の弱さ。快楽に溺れ、そこから抜け出せないことさえ、世間の大半がそれはそれでよしとしてしまう刹那的な常識の存在。そんな中にいる人間一人一人が実は互いを理解し合いたいと思いながら、そんな自分自身を見つめようとしない悲しさ。それらの大部分がストーリーから欠落し、かろうじて残った部分さえ取ってつけたスパイスになってしまっている。最も重要な部分が、この作品の一つの要素に過ぎなくなっているのだ。
 公演直後、私はこの作品をどう受け止めるべきか分からなくなってしまった。制作上の都合や、資金的な問題、制作期間の問題等々……。一つの作品が一人の人間の手を離れ、様々な人の手を経て変化していく過程の、アーティストの苦悩を勝手に想像したりもして、複雑な気分になった。作品中、マダムが「大きくなりすぎた組織は、一人の意思では操れなくなる」といった意味の言葉を吐くが、果たしてそうなのだろうか? 事実は分からないが、そんな不明瞭さを感じてしまう作品であった。
 だがこれも、始まったばかりの第一段階なのだ。この先も「studio-exp」は、様々な形で皆の前に現れるだろうし、実際に、好奇心を刺激する幾つもの企画が進行していると聞く。それに、いい意味で諦めの悪い久保田氏なら、表現しきれなかったこのオリジナルを何らかの形で、そして「久保田条実」の「言葉」でしっかりと表現する時がくるであろう。その時、彼がどんな作品を発信するのか、それに期待したい。

音楽評論家/乃本忠静

M・M/音楽プロデューサー

 俺がジョーミに出会ったのは、奴がまだ十代の終わり頃だった。あの頃のジョーミを思うと、「スタジオエクスプレス」なんてクリエイター集団まで作ってしまうような、前向きなアーティストになってしまうなんて、とても信じられない事実! アイツは群れない奴だったのだ。
 まあ、野心家ではあったけど、正攻法で何かをやるとは誰も思っていなかった。何を考えているのか、さっぱり分からなかったし、喋っていても同じ日本語とは思えないほど、訳の分からないことばかり言っていた。行動も怪しく、秘密主義に徹していたようだった。
 それでも、彼が愛と性に生きていたことだけは周知の事実だったと思う。飛ぶ鳥を落とす勢いのプロデューサー様になった久保田条実の過去を、書くこともはばかられるような内容で紙面を汚してしまうわけにはいかないが、当時の誰もが、「アイツは成功してもスキャンダルで潰れるよな」などと言っていたものだ。
 話は逸れたが、俺は「Stray sheep は眠らない」を観たとき、ちょっと胸騒ぎを覚えてしまった。「久保田条実もこれで終わりか?」と本気で心配した。彼ほどエキセントリックな人間でも、三十の坂を越え(齢をバラしても良いのだろうか?)、とうとう優等生への道を進む決心をしたのだろうか? いや、そんなハズはない。きっとアイツは何かをたくらんでいるに違いない。
 そもそもアイツはウソつきなのだ。
 ジョーミは「演出家の二瓶さんにもそう言われた」と言っていたが、二瓶氏が俺と同じ意味でそうおっしゃったのかどうかは分からない。ただ、ほとんどの人間が、アイツにウマくはぐらかされてしまうのだ。良いか悪いかは別として、めったに本音は漏らさない。「これぞ本音」と思えるような発言ほど、実は大ウソだったりする。心の中で真っ赤な舌を出しながら、言葉巧みに自分の都合の良い方向へ話を持っていってしまうことなど朝メシ前の人間なのだ。もとより本人には悪意などなく、チェスを楽しむかの如く、無邪気に人間関係を操作しようとする傾向がある。恐るべし、久保田条実!
 だからこそ、あの「Stray sheep は眠らない」について、俺自身は「久保田条実の大ペテン」なのだと確信する。あれがアイツのメッセージだなどと思ってはいけない。きっと2ステップくらい先を見込んだ壮大な詐欺計画の前哨にすぎないハズだ。
 そう考えると、ジョーミも大人になったもんだ。だってそうだろう? そうじゃなきゃ、目に涙をいっぱい溜めて、「だってイヤなものはイヤなんだもん」って強情張っていた十代の頃までもが大芝居だったことになっちまう(ちょいと待て、アイツならやりかねん)。
 「Stray sheep は眠らない」ねぇ。俺ぁ嫌いだね。あれが久保田条実プロデュースでなきゃ、無条件に賞賛しまくったことだろうけど、どうしてもね、アイツがあれを制作していると思うと、釈然としないのよ。だってさ、ぜんぜん「らしく」ないもん。あのストーリーが否応なく与えてしまうメッセージってさ、アイツの生き方に反してるぜ。
 公演が終わって楽屋を訪ねたとき、アイツ、ポロっと言いやがった。
 「俺だったら、ジュンみたいなヤツ、『音楽なんてヤメちまえ』って言っちゃうんだけどな」
 なんと無責任なプロデューサー! 自らストーリーを否定しやがった。でも、俺の胸騒ぎがその一言で治まったのは事実だ。久保田条実健在。それなら、アイツが何をたくらんでるのか、とことん見届けてやるぜ。
 6月にライブをやると聞いた。久しぶりにミュージシャンとしてのジョーミが見られることを楽しみにしている。でもさ、あんなにライブが嫌いだったジョーミくん、おまえ、いったい何たくらんでんの?!

M・M/音楽プロデューサー

※ファンクラブ会報誌「スタコム」(創刊・2号合併号…98/4/28発行)より

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  • 資料提供:studio-exp(スタジオエクスプレス)